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松江地方裁判所浜田支部 昭和46年(ワ)850号 判決 1973年3月30日

原告

山田徳己

外一三名

右原告一四名訴訟代理人

上条貞夫

外一名

被告

日本国有鉄道

右代表者

磯崎叡

右訴訟代理人

真鍋薫

外六名

主文

被告が原告らに対してなした別紙戒告処分目録記載の各戒告処分は、いずれも無効であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

<前略>

二、原告らの請求原因

(一)  原告らは、いずれも被告日本国有鉄道(以下単に国鉄という)の職員であり、国鉄米子鉄道管理局管内の職場(別紙原告目録に記載のとおり)に勤務しており、国鉄労働組合(以下単に国労という)に加入し、その米子地方本部浜田支部浜田駅連区分会に所属しているものである。

被告は日本国有鉄道法(以下単に国鉄法という)によつて設立され、鉄道事業等を経営する公共企業体である。

(二)  被告は、原告らに対し、米子鉄道管理局長名義をもつて、別紙戒告処分目録各記載の日に、同目録各記載の理由をもつて、それぞれの戒告処分(以下単に本件各処分という)をした。<中略>

(三)  被告が本件各処分を行つた理由は次のとおりである。

(行為)

1 昭和四六年一月二〇日付戒告処分について

(1) 原告山田徳己について

原告山田徳己は、浜田駅小荷物掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

(イ) 昭和四五年四月一八日午後二時四二分ごろ、原告山田は原告岡田、同湊口、同田原、同平野、同両見とともに、同駅輸送室に入り、同輸送室備付けのロッカーに、「安保廃棄、沖繩全面返還で豊かな暮しを国民に」「年度末手当扶養家族手当を組合案で実施せよ」「合理化は一家の敵だふみ倒せ」等と印刷した短冊型で縦約四〇センチメートル、横約一五センチメートルのビラを貼付した。

たまたま構内入換監視から輸送室に帰着した同駅助役渡辺善二郎がこれを目撃し、原告らに対し「ビラを貼つてはいけない。」と再三制止したが聞き入れず、ロッカー表面に九六枚、側面に二七枚合計一二三枚のビラ貼りを強行したほか、同室の天井に縦横約七〇センチメートルの赤い布地に「頑張れ、当局と徹底的に対決しよう」等と墨書をしたよせ書八枚をつり下げた。

(ロ) 同日午後二時五五分ごろ、原告山田は、原告岡田、同湊口、同平野、同両見らとともに、同駅事務室に無言で入室し、同事務室備付けのロッカー表面にビラ貼りを始めたこれを目撃した同駅助役吉屋強は、直ちに原告らに対し大声で「ビラを貼るのは止めよ。」「管理者の許可しないところにビラ貼りをしてはいけない。」と制止したが聞き入れずかえつて、原告湊口において「人の尻馬に乗つて何を云うか。お前は最近浜田駅へ来たばかりではないか。何も知らないくせに何を云うか。」と云い返し、同助役の「僕は本日の当務助役だ。管理者の許可しないところにビラを貼つてはいけない。」との強い制止に対し「お前は何も知らないくせに大きなことを云うな。」とののしるなどの反抗をして、「安全とサービス低下の小駅無人化反対」「ことしこそ賃金配分は組合案で」等と印刷した前記同様のビラを、事務室入口付近のロッカーの表面に三枚、側面に一一枚、出札室のロッカー表面に九枚、更に休憩室のロッカーの表面に六六枚、側面に二枚合計九一枚貼ることを強行したほか、休憩室の天井に「団結、頑張れ」等と記載した前記同様のよせ書一枚をつり下げた。

(ハ) 同日午後三時一五分ごろ、原告山田は、原告湊口、同田原、同平野らとともに、同駅貨物室に入室し、二組に分れ一組は同貨物室正面のロッカー表面に、他の一組は同休憩室ロッカーの表面にビラ貼りを始めた。これを目撃した同駅助役野坂正男は、原告山田らに対し「ビラ貼りは止めよ。」と数回にわたつて制止したが聞き入れず、前記同様のビラを、同貨物室正面ロッカーの表面に一〇枚、同休憩室ロッカーの表面に一八枚、ボックス(木製のロッカー)の表面に一八枚、更に貨物分室のロッカー表面に一二枚合計五八枚貼ることを強行したほか、同休養室入口上部の壁に前記同様のよせ書一枚を掲出した。

(2) 原告岡田二郎について

原告岡田二郎は、浜田駅旅客掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

(イ) 昭和四五年四月一八日午後二時四二分ごろ、原告岡田は、原告山田、同湊口、同田原、同平野、同両見とともに同駅輸送室に入り、前記原告山田の項(イ)記載事実の行為をした。

(ロ) 同日午後二時五五分ごろ、原告岡田は、原告山田、同湊口、同平野、同両見らとともに同駅事務室に無言で入室し、前記原告山田の項(ロ)記載事実の行為をした。

(3) 原告湊口国市について

原告湊口国市は、折居駅駅務掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

(イ) 昭和四五年四月一八日午後二時四二分ごごろ、原告湊口は、原告山田、同岡田、同田原、同平野、同両見とともに浜田駅輸送室に入り、前記原告山田の項(イ)記載事実の行為をした。

(ロ) 同日午後二時五五分ごろ、原告湊口は、原告山田、同岡田、同平野、同両見らとともに、同駅事務室に無言で入室し、前記原告山田の項(ロ)記載事実の行為をした。

(ハ) 同日午後三時一五分ごろ、原告湊口は、原告山田、同田原、同平野らとともに、同駅貨物室に入室し、前記原告山田の項(ハ)記載事実の行為をした。

(4) 原告田原康雄について

原告田原康雄は、浜田駅信号掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

(イ) 昭和四五年四月一八日午後二時四二分ごろ、原告田原は、原告山田、同岡田、同湊口、同平野、同両見とともに同駅輸送室に入り、前記原告山田の項(イ)記載事実の行為をした。

(ロ) 同日午後三時一五分ごろ、原告田原は、原告山田、同湊口、同平野らとともに同駅貨物室に入室し、前記原告山田の項(ハ)記載事実の行為をした。

(5) 原告平野徳彦について

原告平野徳彦は、浜田駅構内作業掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

(イ) 昭和四五年四月一八日午後二時四二分ごろ、原告平野は、原告山田、同岡田、同湊口、同田原、同両見とともに同駅輸送室に入り、前記原告山田の項(イ)記載事実の行為をした。

(ロ) 同日午後二時五五分ごろ、原告平野は、原告山田、同岡田、同湊口、同両見らとともに同駅事務室に無言で入室し、前記原告山田の項(ロ)記載事実の行為をした。

(ハ) 同日午後三時一五分ごろ、原告平野は、原告山田、同湊口、同田原らとともに同駅貨物室に入室し、前記原告山田の項(ハ)記載事実の行為をした。

(ニ) 昭和四五年四月二九日午前一一時一五分ごろ、原告平野は、他の三名を伴つて下府駅に来り、荷物保管庫内の同駅備付けのロッカーにビラを貼付し始めた。これを現認した同駅駅長川村芳尾が制止したところ「分かつた。」と云いながら聞き入れず「退職は六〇過ぎて考えよ」「合理化という名の白蟻撲滅だ」等と印刷した前記同様のビラ一二枚を前記ロッカーに貼ることを強行した。

(ホ) 同日午後二時三〇分ごろ、原告平野は他の二名を伴つて江津駅事務室に入り、出札室備付けのロッカー表面にビラ貼りを始めた。これを目撃した同駅助役永井三元は、直ちに「オイビラ貼りは止めてくれ。」と云つて制止したところ、原告平野は「助役さん。子供が云うようなことをいんさんな。」と云い返し、更に同駅構内から事務室に帰着した同駅首席助役泉重孝が、両手を拡げて「貼つてはいけん。」と制止したところ、原告平野は「心配しんさんな。これであんたらも給料があがるだけえ―。」と云い返し、更に同首席助役が、拡げた腕を上下に動かして阻止しようとしたところ、原告平野は怒声をあげ「あんた手を触れるんか。やつたるで―。」等と云つて制止も聞かず「合理化という名の白蟻撲滅だ」「首切りにつながる合理化はね返せ」「国労のバッチを胸に団結だ」「退職は六〇すぎて考えよ」等と印刷した前記同様のビラ一二枚を出札室ロッカーに貼ることを強行した。

(ヘ) 同日午後六時四〇分ごろ、原告平野は、他の二名を伴つて浜原駅事務室に入り、同駅備付けのロッカーにビラ貼りを始めた。これを目撃した同駅助役岡本重樹が、「止めたまえ。」と数回制止したが聞き入れず「春闘で住みよい社会の基礎づくり」「首切りにつながる合理化はね返せ」「合理化は一家の敵だふみ倒せ」等と印刷した前記同様のビラ四枚をロッカー表面に貼ることを強行した。

(ト) 昭和四五年五月一六日午前八時五〇分ごろ、原告平野は、原告内田らとともに浜田駅事務室に入り、同事務室備付けのロッカーに、原告平野が糊をつけ、原告内田らがビラを貼り始めた。これを目撃した同駅助役内田博喜及び同山崎定夫が、右原告らに対し「今朝点呼で云つたばかりではないか。貼つてはいけない。」と制止したが、原告らは「あんたら何を云うんだ。若し剥ぎでもしたら承知せんぞ。」と云い返して聞き入れず「警察権力、鉄道公安官の組合に対する不当介入粉砕」「国鉄に無用の鉄道公安官、運輸長をなくせ」と印刷した前記同様のビラを事務室のロッカー表面に六枚、側面に一二枚、出札室のロッカー表面に一八枚、休憩室のロッカー表面に六三枚、側面に二四枚合計一二三枚貼ることを強行した。

(6) 原告両見忠雄について

原告両見忠雄は、浜田駅構内作業掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

(イ) 昭和四五年四月一八日午後二時四二分ごろ、原告両見は、原告山田、同岡田、同湊口、同田原、同平野とともに同駅輸送室に入り、前記原告山田の項(イ)記載事実の行為をした。

(ロ) 同日午後二時五五分ごろ、原告両見は、原告山田、同岡田、同湊口、同平野らとともに同駅事務室に無言で入室し、前記原告山田の項(ロ)記載事実の行為をした。

(7) 原告内田漠について

原告内田漠は、浜田駅構内作業掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

昭和四五年五月一六日午前八時五〇分ごろ、原告内田は、原告平野らとともに同駅事務室に入り、前記原告平野の項(ト)記載事実の行為をした。

2 昭和四六年一月二五日付戒告処分について

(1) 原告内田漠について

原告内田漠は、浜田駅構内作業掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

(イ) 昭和四五年六月一〇日午前九時ごろ、原告内田は、原告平野、同山田(要)、同原、同田村、同山田(幸穂)、同小笠原らとともに、同駅輸送室に入り、同輸送室備付けのロッカーにビラを貼付した。これを現認した同駅首席助役和田忠四郎、同駅助役久保田義雄及び同小寺一好が交々「なぜ貼るのか。そこに貼つてはいけない。止めないか。」「ビラを貼つてはいけない。止めろ。」「今まで何回も云つているように、そこの掲示板以外には一切貼つてはいけない。直ちに剥げ。」等と云つて制止したが聞き入れず、かえつて原告平野において「何が悪いんだ。」と云い返してこれに反抗し「国民には運賃値上げ、国鉄労働者には首切りの国鉄再建計画反対」「扶養、通勤手当を増額せよ」「労働者、地域住民を犠牲にする赤字線小駅廃止反対」等と印刷した短冊型で縦約四〇センチ、横約一五センチのビラを同輸送室操車掛詰所のロッカー表面に一〇〇枚、側面に九九枚合計一九九枚貼ることを強行した。

(ロ) 同日午前九時一五分ごろ、原告内田は、原告平野、同山田(要)、同田村、同山田(幸穂)、同小笠原、同小村、同両見らとともに同駅事務室に入り、同室備付けのロッかーにビラ貼りを始めた。これを目撃した同駅首席助役和田忠四郎及び同助役山崎定夫、同小川正人の三名が再三、再四原告らに対し「ビラ貼りを止めよ。」と制止したが聞き入れず「国鉄に無用の鉄道公安官、運輸長制度をなくせ」「当局の当り屋、デッチアゲに対し断固鉄槌をくわえよう」「みんなの力で安保条約を廃棄させよう」等と印刷した前記同様のビラを事務室ロッカーの表面に二四枚、側面に三三枚合計五七枚貼ることを強行した。

(ハ) 同日午後一時二〇分ごろ、原告内田は、原告両見らとともに三保三隅駅事務室に入り、同駅備付けのロッカーにビラ貼りを始めた。これを目撃した同駅助役石田好一は、ビラを貼らないよう数回繰り返し警告、制止するとともに撤去を通告したが、原告らは「助役さんがいくら止めても貼る。剥がしたらまた貼りに来る。」と云い返して聞き入れず「鉄道公安官、運輸長制度を廃止せよ」「労働者、地域住民を犠牲にする赤字線小駅廃止反対」等と印刷した前記同様のビラを同事務室内ロッカーの表面に一八枚貼ることを強行した。

(2) 原告平野徳彦について

原告平野徳彦は、浜田駅構内作業掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

(イ) 昭和四五年六月一〇日午前九時ごろ、原告平野は、原告内田、同山田(要)、同原、同田村、同山田(幸穂)、同小笠原らとともに同駅輸送室に入り、前記原告内田漠の項(イ)記載事実の行為をした。

(ロ) 同日午前九時一五分ごろ、原告平野は、原告内田、同山田(要)、同田村、同山田(幸穂)、同小笠原、同小村、同両見らとともに同駅事務室に入り、前記原告内田の項(ロ)記載事実の行為をした。

(3) 原告両見忠雄について

原告両見忠雄は、浜田駅構内作業掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

(イ) 昭和四五年六月一〇日午前九時一五分ごろ、原告両見は、原告内田、同平野、同山田(要)、同田村、同山田(幸穂)同小笠原、同小村らとともに同駅事務室に入り、前記原告内田の項(ロ)記載事実の行為をした。

(ロ) 同日午前九時五〇分ごろ、原告両見は他の二名を伴つて同駅貨物室に無言で入室し、同室備付けのロッカーにビラ貼りを始めた。これを目撃した同駅助役野坂正男は、直ちに原告両見に対し、「ビラを貼つてはいけない。止めなさい。」と数回制止したが原告両見は「事務室で貨物に行つて貼れと云つたので貼るんだ。どうしてビラを貼ることが悪いのか。止めろと云われたら今日は沢山貼る。」と云い返し、同助役は「事務室で貨物に行けなど云うはずがない。」と云つて制止したが、聞き入れず、原告両見らは「沖繩の無条件全面返還をかちとろう」等と印刷した前記同様のビラを貨物室ロッカーの表面に一〇枚、同休憩室のロッカー表面に七枚、ボックス表面に一八枚、同貨物分室のロッカー表面に一二枚合計四七枚貼ることを強行した。

(ハ) 同日午後一時二〇分ごろ、原告両見は、原告内田らとともに三保三隅駅事務室に入り、前記原告内田の項(ハ)記載事実の行為をした。

(4) 原告山田要について

原告山田要は、浜田駅構内作業掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

(イ) 昭和四五年六月一〇日午前九時ごろ、原告山田(要)は原告内田、同平野、同原、同田村、同山田(幸雄)、同小笠原らとともに同駅輸送室に入り、前記原告内田の項(イ)記載事実の行為をした。

(ロ) 同日午前九時一五分ごろ、原告山田(要)は、原告内田、同平野、同田村、同山田(幸雄)、同小笠原、同小村、同両見らとともに同駅事務室に入り、前記原告内田の項(ロ)記載事実の行為をした。

(5) 原告原昭夫について

原告原昭夫は、浜田駅踏切保安掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

昭和四五年六月一〇日午前九時ごろ、原告原は、原告内田、同平野、同田村、同山田(要)、山田(幸穂)、同小笠原らとともに同駅事務室に入り、前記原告内田の項(イ)記載事実の行為をした。

(6) 原告小村繁夫について

原告小村繁夫は、浜田駅踏切保安掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

昭和四五年六月一〇日午前九時一五分ごろ、原告小村は、原告内田、同平野、同山田(要)、同田村、同山田(幸穂)同小笠原、同両見らとともに同駅事務室に入り、前記原告内田の項(ロ)記載事実の行為をした。

(7) 原告田村茂について

原告田村茂は、浜田駅踏切保安掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

(イ) 昭和四五年六月一〇日午前九時ごろ、原告田村は、原告内田、同平野、同山田(要)、同原、同山田(幸穂)、同小笠原らとともに同駅輸送室に入り、前記原告内田の項(イ)記載事実の行為をした。

(ロ) 同日午前九時一五分ごろ、原告田村は、原告内田、同平野、同山田(要)、同山田(幸穂)、同小笠原、同小村、同両見らとともに同駅事務室に入り、前記原告内田の項(ロ)記載事実の行為をした。

(ハ) 昭和四五年六月二八日午後零時五分ごろ、原告田村は、原告小笠原らとともに同駅輸送室に入り、同室備付けのロッカーにビラを貼付した。これを現認した同駅助役久保田義雄は、原告らに対し「そこにビラを貼つてはいけない。止めろ。」等と再三制止したが、原告らはこれを無視して貼りつづけ、同助役が「田村君、君は今日勤務ではないか。止めろ。」と注意したところ、原告田村は「今は休憩時間だからよいではないか。」と云い返し、更に同助役は「田村君止めろ。」と制止したが聞き入れず「扶養、通勤手当を増額せよ」「労働者、地域住民を犠牲にする赤字線小駅廃止反対」「ことしこそ賃金配分は組合案で」等と印刷した前記同様のビラを同室操車掛詰所ロッカーの表面に九八枚、側面に一〇一枚合計一九九枚貼ることを強行した。

(8) 原告山田幸穂について

原告山田幸穂は、浜田駅踏切保安掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

(イ) 昭和四五年六月一〇日午前九時ごろ、原告山田(幸穂)は、原告原田、同平野、同山田(要)、同原、同田村、同小笠原らとともに同駅輸送室に入り、前記原告内田の項(イ)記載事実の行為をした。

(ロ) 同日午前九時一五分ごろ、原告山田(幸穂)は、原告内田、同平野、同山田(要)、同田村、同小笠原、同小村、同両見らとともに同駅事務室に入り、前記原告内田の項(ロ)記載事実の行為をした。

(9) 原告小笠原春市について

原告小笠原春市は、浜田駅踏切保安掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

(イ) 昭和四五年六月一〇日午前九時ごろ、原告小笠原は、原告内田、同平野、同山田(要)、同原、同田村、同山田(幸穂)らとともに同駅輸送室に入り、前記原告内田の項(イ)記載事実の行為をした。

(ロ) 同日午前九時一五分ごろ、原告小笠原は、原告内田、同平野、同山田(要)、同田村、同山田(幸穂)、同小村、同両見らとともに同駅事務室に入り、前記原告内田の項(ロ)記載事実の行為をした。

(ハ) 昭和四五年六月二八日午後零時五分ごろ、原告小笠原は、原告田村らとともに同駅輸送室に入り、前記原告田村の項(ハ)記載事実の行為をした。

(10) 原告宇津崎正について

原告宇津崎正は、西浜田駅駅務掛であるが、次の行為をした。

すなわち、

(イ) 昭和四五年六月一二日午前九時一五分ごろ、原告宇津崎は、勤務中にもかかわらず同駅事務室備付けのロッカーにビラを貼付した。これを現認した同駅駅長白石梅若は「ビラを貼つてはいけない。貼ることを止めよ。」と云つて制止したが聞き入れず「みんなの力で安保条約を廃棄させよう」等と印刷した前記同様のビラをロッカー表面に六枚貼ることを強行した。

(ロ) 昭和四五年六月二九日午前八時一五分ごろ、原告宇津崎は、同駅事務室備付けのロッカーにビラ貼りを始めようとしたので、同駅助役田原初美が「貼つてはいけない」と制止したが聞き入れず、前記同様のビラをロッカー表面に二枚〇貼ることを強行した。<後略>

理由

第一、被告の本案前の主張について

<証拠>によれば、戒告処分をうけた職員に対しては当該年度の昇給に際して定められた限度において昇給延伸の措置がとられること、原告らは右の昇給延伸により基本給及びこれに関連する諸手当等の付帯賃金について不利益をうけること、以後原告らが被告の職員たる地位にある間この減収が続く蓋然性が高いことが認められる。

しかして原告らは本件各処分の無効を理由として毎年昇給期にその給与差額の支払を求めて給付訴訟を起すことは理論上は可能であるが極めて困難なことを強いることとなるばかりでなく、被告と職員との雇傭契約が多数の権利義務を包括する継続的契約関係であることの特殊性に鑑みると、端的に本件各処分の無効を確認することにより、それから派生する諸々の具体的な権利義務についての紛争が直接的かつ抜本的に解決されるから、本件各処分が法律関係の発生、変更、消減の前提となる法律事実に過ぎないとの一事をもつて本件各処分の無効確認の訴を不適法と解するのは余りに形式的にすぎ、法律上の利益ないし必要に応じて紛争の公権的解決を図ろうとする民事訴訟制度の目的にも反するものといわざるを得ない。(東京地方裁判所昭和四五年四月一三日判決参照)以上によれば本件原告らの本件各処分の無効確認を求める訴は適法なものと解すべく、この点についての被告の主張は理由がなく採用し難い。

第二、本案について

一、原告らの請求原因(一)、(二)の事実は、原告両見、同山田要、同原、同小村、同田村、同山田幸穂および同小笠原が国労に加入し、その米子地方本部浜田支部浜田駅連区分会に所属している事実を除き、当事者間に争いはなく、右除外事実も<証拠>によつてこれを認めることができる。

二、被告は本件各処分は公法上の処分であるから、処分に外観上明白かつ重大な瑕疵があるときに限り無効と解されるところ、原告らはその存在を個々具体的に主張していないので本訴は失当である旨主張するので審按するに、被告が国有鉄道事業の能率的な運営をはかるため法律に基づいて設立された公法人であることは明らかであるが、鉄道事業の本質は権力的なものではなく私企業によつても営まれているものであるから、その組織が公法上のものであるからといつてその職員の勤務関係が公法上のものであるとは断じ得ないし、国鉄法三四条も国鉄の事業が全国的な規模で運営されているため社会公共の利益にかかること大なるが故に公務員と同様の執務態度を保つべきことを規定したものと解されるし、また国鉄法には職員の身分服務に関して国家公務員法の規定と略同様の規定があるがこれは一般私企業の就業規則にもみられるものであり、更にまた国鉄職員に対し総裁が懲戒権限をもつのは、懲戒の決定権を総裁に与えたにすぎないものと解されるので、いずれにせよ右理由によつて国鉄職員の勤務関係が公法関係であると解することはできない。かえつて、国鉄職員は広汎な団交権、協約締結権を有し(公労法八条)、労使間の紛争についても、あつせん・調停・仲裁の制度が設けられる(公労法二七条ないし三五条)等国家公務員とは異なつていることや前記鉄道事業の本質等からすれば、国鉄職員の勤務関係は当事者対等の非権力関係的原理を基底とする私法関係であると解するのが相当である。そうすると前記被告の主張はその前提において失当であるので採用し難い。

三、そこでまず被告の総裁がなした本件各処分の対象となつた原告らの行為の存否ならびにその態様について判断する。

1  被告主張(三)の処分理由(行為)1(1)(イ)、1(2)(イ)、1(3)(イ)、1(4)(イ)、1(5)(イ)、1(6)(イ)の事実中、昭和四五年四月一八日午後二時四二分ごろ、原告山田徳己、同岡田、同湊口、同田原、同平野、同両見は浜田駅輸送室に入り、同輸送室備付けのロッカーに、「安保廃棄、沖繩全面返還で豊かな暮しを国民に」「年度末手当扶養家族手当を組合案で実施せよ」「合理化は一家の敵だふみ倒せ」等と印刷した短冊型で縦約四〇センチメートル、横約一五センチメートルのビラを貼付した事実及びよせ書をつり下げた事実は当事者間に争いがなく、ビラはロッカーの表面と側面に貼付されたこと、同駅助役渡辺善二郎が構内入換臨視から輸送室に帰りこれを目撃したこと及びよせ書が縦横約七〇センチメートルの赤い布地に「頑張れ、当局と徹底的に対決しよう」等と墨書したもので、同室の天井につり下げられた事実は原告らは明らかに争わないのでこれを自白したものとみなすべきである。被告主張の貼付されたビラの枚数及びつり下げられたよせ書の枚数は<証拠>によつてこれを認めることができるが、渡辺善二郎が原告らを制止した事実についてはこれにそう<証拠>があるが、<証拠>に対比し軽々に措信し難く他に右事実を認めるに足りる証拠はない。そして<証拠>によれば、浜田駅輸送室にはロッカーが六〇ケほど備付けられており、かつその場所は外部からは見えにくく、かつ職員の更衣室のごとき観を呈していることが認められる。

2  同1(1)(ロ)、1(2)(ロ)、1(3)(ロ)、1(5)(ロ)、1(6)(ロ)の事実中、昭和四五年四月一八日午後二時五五分ごろ、原告山田徳己、同岡田、同湊口、同平野、同両見が浜田駅事務室に入室し、同事務室備付のロッカーにビラを貼付した事実、これを目撃した同駅助役吉屋強が制止した事実及びよせ書をつり下げた事実は当事者間に争いがなく、貼付したビラの大きさ、内容、貼付した場所及びつり下げたよせ書の大きさ、内容、つり下げた場所については原告らは明らかに争わないのでこれを自白したものとみなすべきである。被告主張の貼付されたビラの枚数、及びつり下げられたよせ書の枚数ならびに吉屋強と原告湊口との応答の内容が被告主張のとおりであることは<証拠>によそつてこれを認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない、被告は、原告湊口が吉屋強をののしつたと主張するが、右認定の応答内容からすれば吉屋強の制止に立腹した原告湊口が若干激越な言葉をもつて浜田駅におけるビラ貼りの慣行を主張し反論したにとどまるものと認められる。そして<証拠>によれば浜田駅休憩室にはロッカーが三三ケほど備付けられており、かつその場所は外部からはほとんど見えず、同室はその名のとおり事務室勤務の職員の休憩に用いられていることが認められる。

3  同1(1)(ハ)、1(3)(ハ)、1(4)(ロ)、1(5)(ハ)の事実中、昭和四五年四月一八日午後三時一五分ごろ、原告山田徳己、同湊口、同田原、同平野が浜田駅貨物室に入室し、ロッカーにビラを貼付した事実及びよせ書をつり下げた事実は当事者間に争いがなく、原告らが二組に分れて一組は同貨物室正面のロッカー表面に、他の一組は同休憩室ロッカー表面にビラを貼り始めた事実、貼付したビラの大きさ、内容、貼付した場所及びつり下げたよせ書の大きさ、内容、つり下げた場所については原告らは明らかに争わないのでこれを自白したものとみなすべきである。<証拠>によれば、

(1) 原告らが貼付したビラの枚数は被告主張のとおりであること

(2) 浜田駅助役野坂正男は貨物室においてビラを貼り始めた原告山田徳己に対し「そこに貼つてもらつては、やれんがなあ。」と言つたのみであることが認められ、<証拠判断省略>。右認定事実によれば野坂正男が原告らのロッカーに対するビラ貼りに対し困惑の意を表明したのみで制止したものと解することはできない。

4  同1(5)(ニ)の事実中、昭和四五年四月二九日午前一一時一五分ごろ、原告平野が下府駅荷物保管庫内の同駅備付のロッカーにビラを貼付した事実は当事者間に争いがなく、その余の事実は原告において明らかに争わないのでこれを自白したものとみなすべきである。

5、同1(5)(ホ)の事実中、昭和四五年四月二九日午後二時三〇分ごろ、原告平野が江津駅事務室に入りビラ貼りをした事実は当事者間に争いがなく、原告平野が貼付したビラの内容、大きさ、枚数、及び貼付した場所については原告が明らかに争わないのでこれを自白したものとみなすべきである。同駅助役永井三元、同泉重孝の制止文句とこれに対する原告平野の応答が被告主張のとおりであることは<証拠>によりこれを認めることができ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。又<証拠>によれば、原告平野は青木分会長と組合員が使用しているロッカーにビラを貼ることをうち合せたのちビラ貼りを行つたことが認められる。

6、同1(5)(ヘ)の事実中、昭和四五年四月二九日午後六時四〇分ごろ、原告平野は浜原駅事務室に入りビラ貼りをした事実は当事者間に争いがなく、原告平野が貼付したビラの内容、大きさ、枚数及び貼付した場所については原告が明らかに争わないのでこれを自白したものとみなすべきである。<証拠>によれば、同人がビラ貼りをはじめた原告平野に対し、「ビラ貼りはやめたまえ。」と三回ほど制止したところ原告平野は「こんな山奥でもそんなことを言うのか……」と言いながらビラ貼りを続行したこと及びビラを貼り終つたのちは原告平野と岡本助役は雑談をなし原告平野の父親のことを話題にのせたことが認められ<証拠判断省略>。

7、同1(5)(ト)、1(7)(イ)の事実中、昭和四五年五月一六日午前八時五〇分ごろ、原告平野、同内田が浜田駅事務室に入りビラ貼りをした事実は当事者間に争いがなく、その余の事実は原告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなすべきである。浜田駅休憩室のロッカーの数、その備付られた場所の状況等については前記2で認定したとおりである。

8  同2(1)(イ)、2(2)(イ)、2(4)(イ)、2(5)、(2)(7)(イ)、2(8)(イ)、2(9)(イ)の事実中、昭和四五年六月一〇日午前九時ごろ、原告内田、同平野、同山田要、同原、同田村、同山田幸穂、同小笠原が浜田駅輸送室に入りビラを貼つた事実は当事者間に争いがなく、その余の事実は原告らにおいて明らかに争わないからこれを自白したものとみなすべきである。そして輸送室のロッカーの数、その備付けられた場所の状況等については前記1で認定したとおりである。

9  同2(1)(ロ)、2(2)(ロ)、(2)(3)(イ)、2(4)(ロ)、2(6)、2(7)(ロ)、(2)(8)(ロ)、2(9)(ロ)の事実中、昭和四五年六月一〇日午前九時一五分ごろ、原告内田、同平野、同山田要、同田村、同山田幸穂、同小笠原、同小村が浜田駅事務室に入りビラを貼つた事実は当事者間に争いがなく、その余の事実は原告ら(但し原告両見を除く)において明らかに争わないのでこれを自白したものとみなすべきである。原告両見は当初右ビラ貼り行為に参加していたことを認めていたところ、後にこれを撤回し否認するに至つたので、右撤回が許されるか否かについて検討するに、<証拠>によれば原告両見も右ビラ貼りに加わつて浜田駅事務室に入つたことが認められ、<証拠判断省略>。右認定事実によれば原告両見の自白は真実に合しているので、その撤回は許されないものといわざるを得ない。そして前記その余の事実は<証拠>によりこれを認めることができる。又証人小川正人の証言及び原告平野本人尋問の結果によれば原告らのビラ貼りを目撃した小川助役がビラ貼りをしている者の名前をメモしていたところ、原告平野に抗議され、自らそのメモを破つたこと、その日まで原告平野はビラ貼りにさいし現認メモを管理者からとられたことはなかつたことが認められる。

10  同2(3)(ロ)の事実中、昭和四五年六月一〇日午前九時五〇分ごろ、原告両見は浜田駅貨物室に入りビラを貼つた事実は当事者間に争いがなく、その余の事実(但し無言で入室した点は除く)は原告両見において明らかに争わないのでこれを自白したものとみなすべきである。<証拠>によれば原告両見は「こんにちは。ビラを貼らしんさいね。」といつて入室したことが認められる。

11  同2(1)(ハ)、2(3)(ハ)の事実中、昭和四五年六月一〇日午後一時二〇分ごろ、原告内田、同両見が、三保三隅駅事務室に入りビラ貼りをした事実は当事者間に争いがなく、原告らが貼付したビラの内容、大きさ、枚数及び貼付した場所については原告らが明らかに争わないのでこれを自白したものとみなすべきである。<証拠>によれば、原告両見が「こんにちは。ビラを貼らしんさいね。」と言つて入つたところ、右田助役は「今日は駐在の者がアユかけに来るから、勘弁してくれ。」と答え、更に原告両見、同内田がビラ貼り中、「ビラ貼りはやめてくれ。」と述べたところ、原告両見は「助役さんがいくらとめても貼る。はいだら又貼りに来る。」と答えてビラ貼りを続行したことが認められ<証拠判断省略>。右認定事実によれば右田助役は原告両見らに対し、一応制止したが、その態度は極めて弱く懇願に近いものであつたことが認められる。

12  同2(10)(イ)の事実中、昭和四五年六月一二日、原告宇津崎が西浜田駅事務室に入り同室備付のロッカーにビラ貼りをした事実は当事者間に争いがなく、貼付したビラの大きさ、内容枚数については原告は明らかに争わないので、これを自白したものとみなすべきである。白石駅長がビラ貼りを制止した事実は<証拠>によりこれを認めることができ<証拠判断省略>、原告宇津崎が勤務時間中である午前九時一五分ごろビラ貼りをなした事実についてはこれにそう<証拠>はあるが、<証拠>に対比し軽々に措信し難く他に右事実を認めるに足りる証拠はない。

13  同2(7)(ハ)、2(9)(ハ)の事実中、昭和四五年六月二八日午後零時五分ごろう、原告田村、同小笠原が浜田駅輸送室でビラ貼りをした事実は当事者間に争いがなく、同駅助役久保田義雄がこれを制止した事実ならびに貼付したビラの大きさ、内容、ビラを貼付した場所については原告は明らかに争わないのでこれを自白したものとみなすべきである。<証拠>によれば、

(1) 原告田村は当日は勤務日で昼の休憩時間中、足立良に頼まれてビラ貼りに協力するようになつたこと

(2) 原告田村、同小笠原、足立良らがロッカーにビラ貼り中、これを目撃した同駅助役久保田義雄が「そこにビラを貼つてはいけない。」「田村君、君は今日勤務ではないか。ビラを貼つてはいけない。」と注意したところ、足立良か原告田村かいずれかが「休憩時間中だからよいではないか。」と言い返し、更に久保田助役が「田村君やめろ。」と制止したが聞き入れずにビラ貼りを続行し、結局同室操車掛詰所ロッカーの表面に九八枚、側面に一〇一枚合計一九九枚貼つたこと(久保田助役目撃時にはすでに相当部分ビラ貼りは終つていたことが認められるが、目撃時原告らがビラ貼りを続行していたのであるから、特段の事情のない限り、原告らが足立良らとともに右ビラを貼つたものと認めざるを得ない。)

等の事実が認められ、他に右認定に反する証拠はない。原告らは原告田村は一〇枚位、原告小笠原は四〇枚位貼つただけであると述べ、被告は右主張は自白の撤回であると主張するが、原告が貼付した枚数について自白した事実はないから右被告の主張は失当である。しかして輸送室のロッカーの数、その備付けられた場所の状況等については前記1で認定したとおりである。

14  同2(10)(ロ)の事実中、昭和四五年六月二九日午前八時一五分ごろ、原告宇津崎が西浜田駅事務室でロッカーにビラ貼りをした事実は当事者間に争いがなく、貼付したビラの大きさ、内容、枚数については原告は明らかに争わないのでこれを自白したものとみなすべきである。田原助役が原告に対し「貼つてはいけない。」と制止した事実についてはこれにそうような<証拠>があるが、<証拠>に対比し軽々に措信し難く他に右事実をを認めるに足りる証拠はない。

四<証拠>によれば、昭和四五年当時被告職員に適用のある国鉄就業規則六六条に懲戒該当行為として、その三号に「上司の命令に服従しないとき」と、同条一七号に「その他著しく不都合な行ないのあつたとき」と定めていることが認められ、又右就業規則が国鉄の定める業務上の規程に該当することは明らかである。

五、そこで更に進んで、被告のなした本件各処分の適否について判断する。

<証拠>によれば、原告らがビラを貼付したロッカーは備品として国鉄の物的施設の一部を構成し、国鉄が各個の職員に対し出勤時には私服類を、退勤時には作業服類を存置するという利用目的の範囲内で、その利用に供しているものであり、<証拠>によれば被告はその管理する施設に許可なく文字等を掲示することを禁じ(国鉄文一七八号通達)、組合に対しては掲示板の設置は認めるが、それ以外の場所に組合の文書を掲示することを禁じていることが認められる。従つて所定の組合掲示板以外の場所であるロッカーにビラを貼付することは右通達に違反し、被告の有するロッカーに対する施設管理権を侵害するものであり、かつ職場内の許されていない場所にビラを貼ることが職場規律を乱すものであることは否定しえない。

しかしながら、ビラ貼りは組合活動の最も通常かつ重要な手段方法であるのみならず企業内組合においては、組合活動の場は企業施設を中心として行わざるを得ず、使用者においてある程度の施設の利用は受忍すべき場合もあるといわざるを得ないので、ビラ貼りが正当性を主張しえないかどうか、更にこれが職場規津違反になるかどうかは、組合活動としての必要度、貼付された施設の性質、その存在する場所、ビラ貼りの枚数、その接着の方法、ビラの内容、その職場における慣行その他諸般の事情を勘案して決すべきである。

(一)  まず、浜田駅連合区内の各駅及びその周辺駅におけるロッカーへのビラ貼りの慣行の有無及び原告らが本件ロッカーへのビラ貼りをなすに至つた経緯について検討する。

<証拠>を総合すると次の事実が認められる。

1 浜田、下府、西浜田、三保三隅、江津、浜原の各駅においては、すくなくも昭和四〇年頃から国鉄備付のロッカーへのビラ貼りは日常の組合活動としてなされており、浜田駅においては昭和四四年一〇月五日頃までは組合側の諒承なく貼付されているビラをはいだことはなかつたこと。

2 昭和四四年八月下旬頃、浜田駅輸送室備付のロッカーにビラが貼付されていたところ、浜田駅当局において同年一〇月五日これをはいだので、同月七日浜田駅連合区現場協議(以下単に現協という)(出席者、当局側として藤本浜田駅長、下岡浜田駅首席助役、小寺浜田駅輸送総括、山崎浜田駅庶務助役、浜野三保三隅駅長、組合側として分会長原告山田徳己、副分会長原告岡田、書記長原告湊口、執行委員原告田原他二名)の場で、その日の付議事項に入る前に話し合いをした結果、当局側はその非を認め「労使慣行について」と題し「1闘争時と日常活動の場合は確かに違うと思う。2本時点としては事前連絡をすべきであつた。3今後については十分従来の労使慣行を尊重する。」と記載された書面が作成され下岡首席助役、湊口分会書記長が署名押印したこと

そしてその趣旨は「1闘争時のビラ貼りと日常活動としてのロッカーのビラ貼りは確かに違う。2今回のビラ貼りは日常的なロッカーへのビラ貼りなので組合側の了解を得てはぐべきだつた。3今後は今回のようなことはしない。」というものであつたが、当局側の意向でその表現は前記のとおり曖味にされたこと

3 昭和四四年一一月九日三保三隅駅において、国鉄備付のロッカーに貼られていたビラが駅当局によつてはがれたため、同日開かれた現協において付議事項に入る前話し合われ、浜野三保三隅駅長は、局の巡視があるので職場をきれいにして受けたいのではいだ旨釈明したが、結局その非を認め「労使慣行」と題し「1昭和四四年一〇月五日確認した労使慣行について一部不履行の点があつた事については認める。2今後の言動については十分注意し従来の労使慣行を尊重する。」と記載された書面が作成され、浜野三保三隅駅長、湊口分会書記長が署名押印したこと

4 昭和四五年一月二日頃、浜田駅駅務休憩室のロッカーに貼つてあつたビラを営業係職員が運輸長付職員に言われてはいだため、藤本駅長の命をうけた鍵本輸送助役が国労浜田支部執行委員長の山崎亮に依頼して組合の部屋の鍵をかり組合のビラ三枚位を持ち出して貼り直したこと

5 昭和四五年二月二四日、岡見駅において、国労組合員が貼付したロッカーのビラを駅当局ではいただめ、同日の現協(出席者、当局側として森脇浜田駅長他五名、組合側として分会長原告山田徳己他五名)において話し合いの結果、横川岡見駅長らがビラをもと通り貼り直したこと

6 昭和四五年二月浜田駅に着任した吉屋強助役は、三月初め頃浜田駅において国鉄備付のロッカーへビラ貼りがなされているので、小寺助役にその理由を尋ねたところ、同助役は「今すぐできることではない。近いうちにやるからそのままにしておけ。」と答えたこと

7 昭和四五年二月浜田駅長として森脇正雄が着任したが、森脇駅長は従来のロッカーのビラ貼りに関する労使の慣行は打破すべきであると考えたが、これをすぐ打破することは困難なので漸進的に解決していきたいと考えていたこと、そして右につき三月上旬米子鉄道管理局に報告したところ同年四月監査がなされ、その際監査員から、ロッカーへのビラ貼りは施設管理権に関するものだから組合側と話をしてきめるべきものではないから駅長としては点呼の際貼つてはいけないことを徹底させるか、当局側の掲示板に掲示して伝達するようにせよと指示されたこと

8 昭和四五年三月二四日、原告両見が貨車へビラ貼り中、糊を当局側の職員の目にかけ傷害を与えたことを被疑事実として、原告両見が逮捕された(以下単に両見事件という)が、この頃より当局側では朝の点呼の際ビラ貼りをやめるよう注意するようになり、国労組合員がこれに反論することもあつたこと

9 昭和四五年四月一四日、浜田駅輸送室に両見事件について両見を激励するよせ書き三枚がつり下げられ、この撤去を要求する森脇駅長とこれに反論する山田徳己分会長との間に緊迫したやりとりがあつたが、その際当局側の態度に激昂した山田徳己分会長が「お前達は部下職員が逮捕されているのに何を言うか。そういう考えだつたら今後一切の慣行は破棄する。」とのべ、森脇駅長は「やむを得ません」と述べた応酬がなされたこと

当局側は右山田分会長の発言によりビラ貼りについての慣行だけが破棄されたものと解し、何等山田分会長の真意を確かめることも、組合側と協議することもなく、その翌日から、組合側の了解なく一方的にロッカーのビラをはぐようになつたこと

10 右日時以後の現協の場においても当局側はその見解を固執しているため、組合側では、昭和四五年六月一〇日「合意調印した事項に対する債権債務の有効確認について」と題する書面を浜田駅連合区長森脇正雄に提出し、前記山田発言の真意を伝え善処方を要望したこと

11 昭和四五年四月一五日以降、組合側がロッカーへビラを貼ると当局側がはぐということが繰り返されるようになつたこと

12 原告らの本件ロッカーへのビラ貼りも右繰り返しの中の一つであつて、国労米子地方本部浜田支部浜田駅連区分会大会において情宣活動としてロッカーへビラを貼ることを決定し、米子地方本部、浜田支部の各諒解のもとに、国鉄職員の使用しているロッカーへのビラ貼りがなされたこと等の事実が認められ、<証拠判断省略>。

(二)  そこで前記判断基準にてらして本件をみるに、右認定事実ならびに前記三認定の諸事実(特に管理者らの制止の有無、制止の態様等)によれば、浜田、下府、西浜田、三保三隅、江津、浜原の各駅においては日常の組合活動としての国鉄備付のロッカーへのビラ貼りはすくなくも昭和四〇年ごろより、同四五年三月二四日ごろまでは慣行として、事実上容認されていたものと認められる上に、本件ロッカーへのビラ貼りにいたる経緯からすると、当局側は昭和四五年四月一四日の山田分会長の発言は、その発言の状況からしてその真意は当局側を困すら意思をもつてなされたもので組合側に有利なロッカーへのビラ貼りについての慣行を破棄することを意味するとは到底解し難いにかかわらず、その真意を尋ねることなく逆に一方的に、しかも当時当局側としては悪しき慣行としてなんとか改めたいと腐心しつつあつたロッカーへのビラ貼りの慣行のみが破棄されたものと曲解し、その翌日よりロッカーに貼られていたビラを一方的にはぎはじめ、しかもその後の現協の場においても右見解を固執していたものであつてこれは組合側を刺激する態度・行為といわざるを得ず、これに憤激した組合側において、これを放置しえず、前記慣行を守ろうとするのも当然の成行であつて、本件各行為当時は組合運動としてロッカーへのビラ貼りを行なう必要性は高かつたものというべきである。加えて、前記認定のとおり本件は国鉄職員に一定の目的の範囲内で使用を許したロッカーへのビラ貼りであつて、玄関或は応接室のごとくその美観を重視すべき施設とは異なるし、又その効用を害することも、更に直接の業務阻害を生ずるとも認めえず、そのビラの内容も前記認定のとおりであつて、虚偽の事実とか個人的誹謗など不当な内容を含むものではなく、国労組合員が組合の指令に基づき当該職員の勤務時間外に、前記認定の各態様において暴力的行為を伴なうことなくなされたものであることを考えると、原告らの本件ロッカーへのビラ貼りは被告側において組合運動として受忍すべき範囲内のものというべきで、正当な組合活動と認めるのが相当である。

なるほどビラの貼付方法は糊付であつて、セロテープなどを用いてなした場合に比し、ビラの剥離は困難であることが認められ、又その枚数も浜田駅輸送室、同事務室(休憩室を含む)同貨物室においては四七枚ないし一九九枚の多数にのぼつており、右においては、もはや日常の組合活動としてのビラ貼りの範囲をこえているものと認められるけれど、これらの点も、前記諸事情ならびに右各室のうちでも特に多数(六八枚ないし一九九枚)貼付された浜田駅輸送室、同休憩室のロッカーの数、その備付られた場所の状況等を考慮するときはいまだもつて右判断を左右するに足りないと考える。

被告は被告の施設たるロッカーにビラを貼るかどうかというようないわゆる被告の管理運営事項については労使の慣行が生ずる余地はないと主張されるが、現場において使用者側の管理者と労働者との間において慣行として確認されている以上、これを尊事すべきは当然で、これを改めたいと思うならば労使の協議によりその方向に進むべく努力すべきものである。

結局、原告らの本件ロッカーへのビラ貼りは正当な組合活動と認められるから、ビラ貼り行為自体が国鉄就業規則六六条一七号に該当しないこと言をまたず、又ビラ貼りに対する上司或は管理者の制止に対し前記認定のとおりこれを無視してビラ貼りを続行したり或は又前記認定程度の反論をなすことは当然であつてこれをもつて右規則六六条三号、一七号に該当するものとは到底解し難く、ひいては国鉄法三一条一号所定の事由に該当しないといわねばならない。

なおよせ書きのつり下げ行為は、被告主張のとおり、本件各処分の対象となつたビラ貼り行為と同一の機会になされたものであつて、本件各処分当時処分権者において認識していたことは十分推認できるので、右を本件訴訟において処分理由として主張することは許されると考えるが、右よせ書のつり下げ行為は処分理由書に記載がなく、本件訴訟において付加されたものであるから、本件においてはロッカーへのビラ貼り行為がその処分の主たる理由であり、よせ書のつり下げ行為は従たる理由であると解されるところ、前記のとおり、主たる理由であるロッカーへのビラ貼りが正当な組合活動の範囲内と認められ、その故に右ビラ貼り行為及び上司或は管理者の制止に従わなかつたことが国鉄就業規則六六条三号、一七号に該当しないと認められる以上、従たる理由の成否によつて本件各処分を維持することは許されぬから、よせ書のつり下げ行為のみによる本件各処分の適否については判断するまでもないと考える。

そうすると爾余の点について判断するまでもなく、被告の総裁が原告らに対し国鉄法三一条一号に基づいてした本件各処分はいずれも無効であるといわねばならない。

六、結論

よつて原告らの本訴請求はいずれも理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。 (下江一成)

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